【魔を滅する転生星】第1章

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第1章:[パライストラ篇](6/19)
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 ズーンと沈み込んでいる少女が居た。

 顔に着けた仮面の所為もあり傍目には少し解り難いのだが、雰囲気だけならば丸解りな沈みっぷりだ。

 その手には銀色の腕輪、菫色の宝玉が填まったそれは聖衣石(クロストーン)。

 この中には聖衣を封じてあり、聖闘士はこの聖衣を纏って闘う訳だが、少女の聖衣は先の模擬戦に於いて損傷が甚だしく、もう聖衣石による修復も効かない。

 また、聖衣修復師でさえこれだけの破壊を受けては修復が出来ないと云う。

 何故か? 聖衣にも生命というモノがあり、多少の損傷なら人間の再生能力と同じく直るが、生命を喪ってしまうと最早直らない。

 そう、彼女の聖衣は──鶴星座(クレイン)は既に死んでしまっていた。

 訓練生、候補生、仮免生とランクアップしていき、仮免生になって漸く与えられる青銅聖衣。

 昔は青銅聖衣は四八個、白銀聖衣が二四個、黄金聖衣が一二個だったものが、黄金聖衣を除く殆んどの物を一度造り直された時に、今は存在していない星座も聖衣としたらしく、

 その数が増えているとはいえど、聖衣の収得というのは決して広い門ではない。

 昔はコロナの聖衣としてフォェボス・アベルに捧げられた星座も、アベル亡き今は青銅聖衣として再構築されているから、

 その時点で昔よりは増えたのだが、それでも数に限りがある事に変わりはないのだから。

 因みに〝殆んど〟というのは、蛇遣座(オピュクス)の白銀聖闘士のシャイナみたいに今も継続して聖闘士をしている場合、交換していないからである。

 少女──小町の守護星座は鶴星座(クレイン)。

 この世界線とは直に繋がらない過去、俗にLC時空と呼ぶ世界で鶴星座(クレイン)は白銀聖衣だった。

 階級の変更が為されている聖衣の一つと云う訳だ。

「グスッ……」

 目に見えて落ち込んでいる小町、その痛々しい姿を見てられないユナとアルネの二人は、物陰から様子を窺いながらも言い合う。

「アルネ、小町を慰めてきてよ」

「無茶言わないで、どんな風に慰めるの?」

「そ、それは……」

 小声であるが故に小町は気付いていないが、二人の言い合いは言い争いにまで発展しつつある。

 言い争うユナとアルネを後目に、ユートがさっさと保健室へと入った。

「「あ゛!」」

 取り敢えず二人を無視すると、聖衣石(クロストーン)を手に落ち込む小町へ話し掛ける。

「小町!」

「あ、優斗……」

 顔を上げる小町、仮面で判らないが恐らく涙を目尻に溜め、瞳を真っ赤にしているのは想像に難くない。

 逆に言うと無表情な仮面を着けているから、ちょっと怖いというのはある。

 今の小町はツインテールを下ろし、背中まで髪の毛を垂らしていた。

「余り元気ではなさそうな様子だね。身体は治った筈だけど、聖衣が死んでしまったからかな?」

「うっ……」

 再び落ち込んで俯く。

「聖衣にも生命がある……多少の損傷なら自己修復も可能だし、聖衣石(クロストーン)の中でそれが促進もされるが、生命を喪った聖衣はそうもいかない」

 ビクッ! 肩を跳ね上げて奮わせる小町。

「まだ生きてさえいれば、聖衣修復師に頼んで修復も可能なんだが、死んだ聖衣は修復師にも修復は不可能となる。通常ならね」

「通常……なら?」

 また顔を上げた小町が、キョトンと小首を傾げた。

 どうも聖衣修復に関しての知識は、小町も外に居る二人も余り無いみたいで、後ろでも『知ってる?』『ううん』などと、小さく囁き合っている。

 ハッキリと云うとユートには丸聞こえだ。

「死に絶えた聖衣へと再び生命の息吹きを取り戻す、その方法は唯一つ。聖闘士の小宇宙を含んだ大量の血を与える事」

「大量の……血?」

「そう、全体の約半分……人間は三分の一も血液を喪えば死ぬ。聖闘士とはいえ生身の人間、それだけ流してしまえば死ぬ可能性も高いのだろうけどね」

「そんなにも……」

「況してや、小町は先の闘いで流血をしている上に、小宇宙も消耗しているから聖衣修復に血液を使えば、間違いなく死ぬだろう」

「うう……」

 聖闘士を目指す以上は、生命の危険は織り込み済みだとはいえ、それでは意味も無く死ぬ事になる。

 聖闘士として戦闘で死ぬなら──出来れば生き残りたいが──まだ容認も出来るだろう、然し聖衣の修復に生命を注ぎ込むというのはどうだろう?

 小町はギュッと聖衣石(クロストーン)を握り締めており、顔は見えないけど下唇でも噛みながら懊悩としている様だ。

 それも仕方あるまい。

 自らの生命を燃やし尽くしてでも聖衣を甦らせて、それを次代の聖闘士が受け継ぐ……

 言葉にすれば綺麗に纏まっているが、今回のこれは聖戦でも何でもない模擬戦での往き過ぎた行為から、聖衣が破壊されたのだ。

 小町からすれば情けない事この上無い。

 正に綺麗事である。

「まあ、そんな訳で小町に血を流させるのも無理だ。だから、其処の二人!」

「ふぇ?」

 ユートが後ろへ呼び掛けたのを見て、小町は首を傾げながら扉の向こうを見遣ると……

「アハハ……」

「えーっと」

 ばつの悪い顔──仮面で解らないけど──をして、ユナは頭をポリポリ掻きながら、アルネは軽く一礼をしながら保健室の中へと入ってきた。

「ユナ、アルネ!?」

 小町は吃驚したのか声を上げるが、初めから知っていたユートは落ち着いていたもので、二人へすぐにも話し掛ける。

「二人共、話は聞いたな? 君ら二人に血液の提供をして貰いたい。然る後に、僕が聖衣修復師が住まうというジャミールに持って行って、修復を頼む」

 別にジャミールに行かずとも、ユートならば修復を可能としてはいるのだが、此処での立場とは飽く迄も聖闘士仮免生、

 この世界に三人しか存在しないと云う聖衣修復師の一人が、その仮免生というのは普通に考えて有り得ない。

 だからこそ、ジャミールに持って行く訳だ。

「ジャミール……インドと中国の国境沿いに在ると云われる?」

「そうだ、ヒマラヤ山脈の標高六千メートルに位置している場所、彼処には聖衣修復師の一人であるジャミールの貴鬼が住んでいる」

 ユナの質問に答えると、二人は互いに頷き合う。

 親友の為ならば血を流す事など是非も無く、小町の鶴星座(クレイン)の聖衣を復活させるべく……


「判ったわ」

「私達の血を小町の聖衣に与える」

 確りと返事をする。

 事が決まると小町に聖衣を出す様に言い、それに応えて鶴星座聖衣(クレイン・クロス)を顕現させた。

 痛々しい破損だらけとなった聖衣、鈍い鉛色に沈み込んで従来の色を喪ってしまい、生命の脈動を感じさせないそれは、とても物悲しい姿である。

 ユナとアルネは左手首を晒す様に制服の袖を捲り、ユートに言われた通り手刀で動脈を切り裂き、己れの血液を聖衣の損傷部を中心に注いでいく。

 ボタボタと二人の手首から流れ落ちる赤い血液……それはユナとアルネの生命の脈動そのものであるし、小町との熱き血潮と友情の絆で結ばれた証だろう。

 一人で半分の血液が必要となるなら、二人では更にその半分で済むという単純計算が為されるが、それでも全体の四分の一を流す事になる訳で、

 仮面の所為で顔色の方は全く見えないものの、身体の肌からは血色が喪われつつあった。

 常人であるなら三分の一でも死ぬのだ、聖闘士とはいえ四分の一というのは、充分に大量出血。

 見ればユナもアルネも、既にフラフラしている。

「ユナ! アルネ!」

 小町が絶叫した。

 足元から崩れ落ちる二人の身体をユートが優しく抱き止めると、呪文の詠唱をして手首の傷を治療する。

「二人共、友人の為によく頑張ったね」

 優しい笑みを浮かべて、傷を治したユートは傷口の有った部位を撫でてやる。

 その後は、すぐに二人をベッドへ寝かせた。

 完全な致死量とまではいかずとも、一時に大量の血を喪ったユナとアルネは、荒い息を吐いて、体温も下随分とがっている。

 こんな事もあろうかと、パライストラは様々な医療施設が用意されているし、医療型のポッドをも常備をしているのだ。

 輸血も簡単に出来る。

 因みに、聖衣に血を与えるのに輸血パックの血液では意味を為さない。

 必ず小宇宙を宿している生き血でなければ、聖衣の修復には使えなかった。

「さて、これで良し」

 二人をポッドに入れて、輸血を行うと一息吐く。

「あたし、ユナとアルネに何て言えば良いのかな?」

 ポツリと呟く小町。

 どうやら二人が鶴星座の聖衣の為に、生命を削る様な真似をした事を気に病んでいるらしい。

「一言お礼を言えば良い。二人は何も見返りを求めて血を分けてくれた訳じゃないだろう。だから今はお礼を言えばそれで良いのさ。

  そしていつか、似た様な事が二人に起きれば、その時は小町が助ければ良い」

「あたし、が?」

「そう、それが友情だろ? 助けて、助けられて……そんな無限サイクルだ」

「うん!」

 きっと穏やかでにこやかな笑顔を浮かべているのであろう、あの無表情でしかない無機質な銀色の仮面の向こう側では。

 声はとても晴れやかになっていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 休みを貰ったユートは、ジャミールへと向かうべく小町の聖衣石(クロストーン)を預かり、パライストラの外へ出て行く。

 聖域のアテナ神像を模したアテナ像へ一礼──右腕を胸元に添える──して、森の中へ入ったユート。

 ジャミールの位置情報、景観を頭の中に思い描くと【力在る言葉】を紡ぐ。

「瞬間移動呪文(ルーラ)」

 元来だと何かしら情報を持つモノを現地に置く必要もあるが、ユートの場合はそれをするまでもなくて、一度でも行けば位置情報と景観を思い出すだけで翔ぶ事が可能となっている。

 ジャミール……

 其処は岩場だけであり、碌な草木も近くには無い。

 在るとすれば、入り口も存在しない五重の館のみ。

 そしてユートの背後には死した聖闘士が化けて出ると云われる、聖衣の墓場と呼ばれる谷が有った。

「お前、何者なのだ!? 聖衣の墓場を通らずに直接此処へ転移するなんて!」

「うん?」

 声を掛けられたユート、居る事は気が付いていたがよもや……

「女の子……だと?」

 六歳か其処らの少女であるとは思わなかった。

 現れた少女は、麻呂眉というジャミール系ではよくある眉毛で、赤毛の長い髪を貝の様な形状の髪飾りの付いたへアゴムで結んで、

 毛束が二つに分かれているポニーテールへと結った、大きな翠色の瞳を持って、橙色を基調とした民族衣装に身を包んでいる。

 この場に居るのもそうであるが、〝眉毛の形〟から明らかに貴鬼の関係者だ。

「僕の名前は青銅聖闘士の麒麟星座・ユートという。ジャミールの貴鬼に聖衣の修復を頼みたい。取り次いで貰えないか?」

 名乗るユートだが……

「お前はズルをしたから、駄目なのだ!」

 瞳が光り、岩を空中に浮かせながら断ってきた。

「念動力(サイコキネシス)……か」

 やれやれとばかりに瞑目すると、開眼と同時に一気に小宇宙を解放して岩を砕いてやる。

 ボカン! 音を上げると岩が全て砕け散り、少女の頭に破片が降り注ぐ。

「きゃわわ~!?」

 大きな破片は無かったとはいえ、まともにぶつければたんこぶは免れない為、少女は頭を庇いながら逃げ惑っていた。

「ハァー、それで? 貴鬼はいつまでこのコントを観ている心算なんだ?」

「気付いていたのか……」

 ユートのすぐ近くには、いつの間にかという動詞がピッタリなくらい、静かな雰囲気で佇んでいる。

「いや、中々に見事な隠行だったよ。気付いたのは、ついさっき。少女の岩を砕いた直後だからね」

 癖のある茶髪を長く伸ばしており、後ろ髪をリボンで結って纏め、清涼な雰囲気の菫色の瞳で見つめてくるのは、貫頭衣に白い腰帯を締めたマント姿の男。

「貴鬼、久しい」

「ああ、久し振りだ優斗。何年振りになるかな?」

「さて? 少なくとも二~三年程度じゃないよ」

「まったくだ」

 彼の名は貴鬼、世界にも僅か三人しか居ないという聖衣修復師の一人。

 嘗てのこの地の主たる、牡羊座の黄金聖闘士ムウの弟子であり、アッペンデックスの貴鬼を名乗り、恰も星矢達の弟分かの如く活動をしていた。

 貴鬼は羅喜の岩を退けてやると……

「大丈夫か、羅喜?」

 苦笑いして声を掛けた。

「うみゃ~、貴鬼さま~」

 砕けた岩で砂埃だらけな羅喜は、情けないへちゃ顔になっている。

「本当に、お前という奴は……」

 砂埃を叩いてやり子供の頃の自分を幻視した。

 取り敢えずは館の中へと入り、ユートの話を聞く事になった貴鬼は、羅喜に命じてお茶を淹れさせる。

「それで、貴鬼。あの子は何なんだ?」

「勿論、私の弟子だ」

「ああ、アッペンデックスなのか……」

「まあ、その通りだな」

 アッペンデックスとは、即ちオマケという意味。

 嘗てのアッペンデックスの貴鬼は、今や押しも押されぬ立派な黄金聖闘士で、牡羊座の貴鬼となっている訳だが、羅喜という少女はポスト・一九九〇年時代の貴鬼らしい。

「で、用事があって来たのだろう?」

「ああ、これを」

 ユートが懐から出したのは当然ながら、小町の聖衣石(クロストーン)だ。

「聖衣の修復か? 優斗なら自分で出来るだろう」

「今の僕はパライストラに通う仮免生、麒麟星座(カメロパルダリス)のユートだからね。単なる仮免生が聖衣修復技術なんておかしな話だろう?」

「そうか、もうそんな時期だったか……」

 一応、この話は黄金聖闘士の全員が知っている。

 勿論、この地でなら自分の技術を揮えるのだろう、だけど折角だから貴鬼のお手並みを拝見しようと思った訳だ。

 序でにまだ貴鬼には言っていない事もあったから、折り良いと考えたというのもあるのだが……

「貴鬼、僕は君にはまだ伝えてない事実があるんだ」

「私に伝えてない事実?」

「そう、星矢達には伝わっているけどね」

「それはいったい?」

「お茶が入ったのだ!」

 問い質そうとした貴鬼であったが、弟子である羅喜に邪魔された形になった。

 仕方ないのでティータイムと洒落込み、三十分くらい経っただろうか? 持ち込みのお茶菓子を食べて、四方山話に花咲かせる。

 まだ子供な羅喜には甘いお茶菓子が好評だった。

「それで、そろそろ説明をしてくれるんだろうな?」

「判っているよ。先ずは、御出で僕の闘士達」

 ユートが両腕を広げて、そう呟くとテレポーテーションなのか、漆黒の鎧兜を身に纏う少女が顕れた。

「な、にぃ? その身に纏う鎧はまさか、冥衣!」

 年の頃は亜麻色の髪の毛を肩まで伸ばした青い瞳の少女が一三歳、羽の如く赤い髪に燃える様な赤い瞳の少女が一七歳といった風情だろうか?

 出て来るなり兜を脱いで左脇に持つと、ユートへと跪いた。

「ど、どういう事なんだ! どうして冥闘士が!?」

「簡単に云うと、僕は冥王の力を幾つか持っている。これはアテナ──沙織お嬢さんや星矢達も知る事だ」

「な、何だってぇぇっ!」

 椅子を倒しながら席を立った貴鬼から、冷静さは失われてまるで昔に戻ったかの如く、驚愕の絶叫を館内に響かせる。

 それから数分……

「落ち着いたか?」

「あ、ああ」

「それじゃ、自己紹介をしてくれるか?」

 冥闘士の二人は頷くと、自己紹介を始める。

「アタシは冥界の三巨頭が一人、天猛星ワイバーンの奏だ」

 羽の様な朱色の髪の毛の少女が言う。

「私は天貴星グリフォンのセレナ、宜しく」

 天雄星ガルーダの冥闘士は居ないが、三巨頭が二人まで揃っている事実を受けた貴鬼は、頭を抱える。

 ユートは神々と闘う度、相手の神氣を喰らって来た訳だが、人間の身には過ぎたその力をまともに発現させる事は長らく叶わなかったものの、

 二〇〇五年から向かった世界での、とある出来事を切っ掛けとして、権能として発現させた。

 その中には冥闘士を招喚する権能、その世界の死者を十二時間限定で甦らせる権能、冥界を創造する権能の冥王ハーデスから簒奪をしたモノが三種類在る。

 冥闘士を招喚する権能、これで冥衣のみを招喚した後に、十二時間限定で死者を甦らせる権能を使って、即席の冥闘士と出来た。

 それに、彼方側でテロリストの少年から抜き出して奪った神器(セイクリッド・ギア)──【魔獣創造(アナイアレイション・メーカー)】を用い、

 本人に似せた魔獣の肉体を創造して、魂を積尸気転輪波を使って宿らせる事により、擬似的に完全な蘇生を可能とすると云う、正しく神に逆らう所業を行っている。

 まあ、ハーデスは普通にやっていた訳だし、ユートはそもそも神殺しの魔王。

 問題は無かった?

 とはいえ、昔は兵藤一誠に魔獣ハーレムが作れたのでは? などと言ったが、よもや自分がそれをやる事になろうとは。

 問題なのは、ワイバーンの奏は顔も知っているが、グリフォンのセレナは全く知らない。

 というよりは……

「この二人って、未来の僕が送り付けて来たんだ」

「ハァ?」

 そう、ユートはこの二人を権能で蘇生させた覚えなど無い。何故なら、彼女らは未来から時空間移動によって送られて来たから。

 二人曰く、何らかの事故があって跳ばされた不可抗力なのだと云う。

 また別の世界に行った際に死んだ二人の魂を環魂、魔獣創造で肉体を創造して与えたのだろうが……

 問題は、二人の内の一人である奏は知識に有るが、セレナを識らない点だ。

 どうやら同じ世界の人間らしい、尤も聞き出す心算など有りはしないが。

「二人共、戻って良いよ」

「オッケー」

「はい」

 奏とセレナは返事をして再びテレポーテーション、【貴鬼の館】から消える。

 詳しい説明を受けた貴鬼はドッと疲れた表情だ。

「貴鬼、精神的に疲れたのは解るけど、まだだよ」

「これ以上があるのか?」

「ああ、逝くぞ」

「何だか、イントネーションがおかしくないか?」

「間違ってない。何故なら行く場所は僕の冥界だ」

「は? ちょ、ま……」

 文句を言う前に転移。

 羅喜を置いてきぼりに、ユートは貴鬼を連れて冥界へと跳んだ。

第1章:[パライストラ篇](7/19)
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 ボードに書かれているのは今日の勉強の内容。

 パライストラでは初等教育から高等教育まで、一貫して教えていく教育機関。

 聖闘士として実力を上げるのは元より、確りと少年少女に勉強も教えている。

 一般教養すらない聖闘士の育成などは、百害あっても一利は無いというのが、嘗て麻帆良学園都市で教師をしていたユートの意見、

 パライストラという聖闘士の養成機関を創るのなら、通常の教育も受けさせるのを具申したのだ。

 沙織はそれを許可した。

 とはいっても、今の時間の授業内容は聖闘士に関する事柄である。

 それは【暗黒聖闘士(ブラックセイント)】についてだった。

 元青銅聖闘士・小馬星座(エクレウス)のロディが、この授業の講師を行う。

 ロディ程に暗黒聖闘士を語るのが相応しい人間も居ない、何故ならば彼こそはニニ年前の銀河戦争(ギャラクシアンウォーズ)の折りに、

 射手座の黄金聖衣を狙ってグラードコロッセオを襲撃した暗黒聖闘士達、その生き残りなのだから。

 暗黒聖闘士の歴史とは、ムウ大陸の沈没以降にまで遡れる、多くの聖衣と共にムウ大陸の一部であったともされる赤道直下の島──デスクイーン島でその聖衣が発見されたのだと云う。

 それが【暗黒聖衣(ブラッククロス)】だった。

 だけど初めから暗黒聖衣なんて、余りある不名誉な銘で呼ばれていた訳では無い筈だ。

 デスクイーン島、それはムウ大陸の一部でもあり、聖衣発祥の地とされる。

 この島には数多くの聖衣が眠っており、その中には青銅、白銀、精霊、黄金のどのカテゴリーにも入らない漆黒の聖衣を納めている聖衣櫃が発見された。

 中には青銅や白銀とよく似た聖衣が有って、当代のアテナはそれを八八が在る守護星座を持つ聖闘士に、

 空きが無いからと成れなかった者に与えようと考えていたが、候補生は疎か雑兵でさえ纏うのを厭う。

 黒という色がどうしても良いイメージとはならず、結局はデスクイーン島へと安置される事となった。

 その後、力に溺れて聖域を追放された者、聖闘士として表面的な破壊力しか身に付けられなかった半端者などが集って、この漆黒の聖衣を纏う様になる。

 聖闘士としては最底辺、恥ずべき暴虐の限りを尽くした彼らを、最後にアテナでさえも見限り、彼の島へ全てが封印された。

 そして彼ら漆黒の聖衣を纏う聖闘士の恥知らずを、侮蔑と軽蔑の意味を籠めて【暗黒聖闘士】と呼ぶ様になり、彼ら暗黒聖闘士が纏う聖衣を【暗黒聖衣】と呼んで蛇蝎の如く嫌う。

 暗黒聖闘士の実力はピンからキリであって、雑兵に毛が生えた程度の者から、それこそ黄金聖闘士に迫る者まで様もだ。

 ではロディの実力は? と云えば、まだ単なる青銅聖闘士(ブロンズ)の域を出ない星矢に斃された程度、必殺技で倒れた後に追い詰めたとはいえ、星矢の流星拳すら躱せなかった。

 つまり、青銅聖闘士二軍と同程度でしかなかった、それが暗黒ペガサス星座のロディである。

 現在のロディは小馬星座(エクレウス)の青銅聖闘士だったとはいえど、単純な実力的に視れば白銀聖闘士を凌駕していた。

 ニニ年前、ムウのテレポートによってあの戦場から離脱させられたロディは、暗黒アンドロメダ、暗黒スワン、

 暗黒ドラゴンという残りの暗黒四天王(ブラック・フォー)は死んでいる事を知り、ボロボロになった暗黒ペガサスの聖衣を、

 聖衣櫃に入れて貧乏旅行の状態となりつつ、何年間かバイトなどで糊口を凌ぎながら彷徨い続ける。

 とある国、とある村へと辿り着いた時には精神的にも辛く、倒れてしまった所を親切な老夫婦に拾われ、一時の安息を得た。

 だけどそんな安息の日々も長く続かず、突然の終焉を迎えてしまう。

 闘争の神マルスを名乗る男が、世界に対して宣戦を布告して来たのだ。

 マルスの使徒とも云える火星士(マーシアン)達が、あちこちの国や街や村などを襲い、世界から安全と云える場所は無くなった。

 ロディの居た村も例外ではなく、グロウフライだと名乗る女火星士が雑兵とも云えるアント共を率いて、襲撃を仕掛けて来る。

 人の温かさを知り、長閑な雰囲気の中に安穏な生活をしていたロディは、壊された日常を見て嘗ての自分が仕出かした事を幻視し、拳を握り締めると漆黒なる聖衣櫃を再び開く。

 見た目には星矢が最初に纏っていた、初代ペガサスの青銅聖衣と同じ形状で、あちこちが罅割れボロボロとなった暗黒ペガサス。

 それを装着したロディはアントを潰し、グロウフライの暴挙を止めるべく前へと立った。

 だが然し、気持ちだけで勝てる程に闘いは甘くないというべきだろう、唯でさえ聖衣がボロボロなのに、数年間もの間は闘いを退いていたロディは、

 小宇宙に於いても肉体的に於いても装備に於いても、グロウフライには勝てずに敗北を喫してしまう。

 ロディは自嘲した。

 所詮はみ出し者でしかない半端なチンピラ聖闘士、今更ながら正義の闘いなど出来る筈も無いのだと。

 それでも立ち上がる。

 踏み付けられ、焼かれ、血反吐を吐き出しながらも立ち上がり続け、火星士に立ち向かって往った。

 そう、諦めなかったからこそ奇跡は起きたのかも知れない……否、それは人として頑張ったが故の当然の帰結と云うべきか。

 聖闘士らしき者がトドメを刺さんと迫る火星士から護ってくれて、九死に一生を得たとはこの事だと強く思ったものだった。

 流れる様なストレートロングの銀髪、侵し難い初雪の様な白い肌、紅玉の如く美しい瞳を持った少女で、その一四〇センチも無いであろう背丈に似合わぬ白銀の鎧を纏い、

 不敵な笑みを浮かべた姿は然し雪の妖精みたいだと思ったロディ。

 その少女はロディの頑張りを褒め称え、蒼い宝玉の填まった銀の腕輪を渡し、村を立ち去っていく。

 それが小馬星座(エクレウス)の青銅聖衣だった。

 『自分達の息子』とまで言ってくれた老夫婦にお礼を言い、村を出たロディは小馬星座(エクレウス)を纏ってマルスとの聖戦に参加をした後、

 嘗て暗黒聖闘士の首領であった一輝と再会して、アテナ側となったと云う一輝に追従するかの様にアテナの聖闘士となり、正式に小馬星座(エクレウス)を受領する。

 そして、双子座の聖闘士に性根ごと叩き直されて、二〇〇二年にあの村へと戻ったロディは、老夫婦が安らかな眠りに就く数年間を任務を受けつつ暮らす。

 その任務中、とある少女を拾ったロディは老夫婦や村人が見守る中で結婚し、子供も生まれた頃に聖闘士を引退、弟子に小馬星座(エクレウス)の青銅聖衣を受け継がせ、

 自身は開校をしたパライストラで教師をする事で任じた。

 そして二〇一二年の春、現在のロディが居る。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「暗黒聖衣は確かにその名も悪名高いが、その実態は決して邪悪なモノでなく、ムウ大陸の錬金術師が聖衣の量産を目指し、造り上げた物だとされている」

 事実、暗黒聖衣は他とは異なり同じ聖衣が幾つも見付かっており、特に最後の青銅聖衣とも云われている鳳凰星座(フェニックス)の聖衣と同形の聖衣が多く、

 嘗てのグラードコロッセオ襲撃事件の折りには、暗黒鳳凰星座(ブラックフェニックス)が複数人居た。

「その聖衣の素材は神秘の金属……神鍛鋼(オリハルコン)、ガマニオン、銀星砂(スターダストサンド)の他にも、通常の金属が使用されている。

  それ故に強度は青銅聖衣にやや劣って、色も黒という余りイメージの良くない物となった」

 暗黒ドラゴンの盾と拳が粉々にされた事実からも、青銅聖衣より強度的に劣るのは間違いなく、恐らくは特殊な機能も備えてない。

 暗黒フェニックスも青銅聖衣の鳳凰星座(フェニックス)みたいな、一握りの灰さえ有れば再び羽ばたくなどと云う、

 とんでもない自己修復機能は付いていなかったろうし、暗黒アンドロメダの鎖にアンドロメダみたいな防御本能が有ったとは思えなかった。

 つまりは、純粋な防具としての機能しか持たないという、量産型と呼ぶのには相応しい物。

 特殊なる機能を廃して、多少の強度を犠牲に生産性を上げた聖衣、それこそが現代に伝わる暗黒聖衣。

 勿論、暗黒ペルセウスの様な星座由来の機能を有する暗黒聖衣も在るだろう、だけどその殆んどが元となる聖衣の機能を持たない。

「生産性を上げたといった意味では、機械で出来たという鋼鉄聖衣も変わらないだろう、だが彼方と異なるのは間違いなく小宇宙無くして使えない、本物の聖衣だと云う事だ!

  近年になってパライストラが開校、聖闘士を志す少年や少女も増えたが、聖衣の絶対数は星座の数しか存在しない。聖衣創成師が今は存在しなかったり、

  名前が変更になったりした星座から聖衣を造ったものの、精霊聖衣を含めて二百にも届かない。故に、双子座の黄金聖闘士は提唱した。

  暗黒聖衣を新たに正規の聖衣とするべく回収をして、名前も改めて与えていこう……と」

 生徒達はロディの言葉にざわめき、動揺しているのが手に取る様に解る。

 そしてその気持ちも理解出来ないでもない。

「これは今度こそブラッククロスを正しく使おうと、アテナすらも認めた正式なプロジェクトだ。よって、お前達が何を言おうが決定は覆らん。

  まあ、覆したいのならせめて黄金聖闘士にでも成る事だな。プロジェクトが完全に発足をする前に……な」

 更にざわめく生徒達。

 それは今すぐにでも成れと言うに等しい。

「あの、先生!」

「どうした、星那?」

「若しかして、聖衣も与えられてなかったのに私が、候補生から仮免生になったのって……」

「そうだ、既に何人か選出されている。少なくとも、四人のブラックセイントの候補が。その内の一人となるのがお前だ、星那」

「は、はぁ。そうですか」

 星那と呼ばれた少女は、突然の話に呆然と呟く。

 亜麻色の癖毛を背中まで伸ばし、隈取りの無い仮面を着けた少女──星那は、双子座が双魚宮の一角にて育てている特殊な作りをした薔薇を使い、戦闘を熟すタイプの聖闘士だ。

「二二年前の闘いで持ち出された四つの暗黒聖衣は、現在だと修復を受けて準備がされている」

「はい!」

「ユナか、どうした?」

「名前を変えると仰有いましたが、それではどの様な名前となりますか?」

「ふむ、良い質問だユナ。暗黒(ブラック)ではやはりイメージ的にアレなので、読みは兎も角としてこの様に書く事となる」

 電子ボードにデカデカと書かれたのは……

【黒鍛聖衣(ブラッククロス)】

 暗黒ではなく黒鍛。

 新たなる希望となるべく願いを籠め、双子座の黄金聖闘士が名付けた銘。

 【黒鍛天馬星座(ブラックペガサス)】

 【黒鍛アンドロメダ座】

 【黒鍛白鳥星座(ブラックスワン)】

 【黒鍛龍星座(ブラックドラゴン)】

 ロディがボードに記していくのは、嘗ての闘いに於いては一輝に従っていた、暗黒四天王の聖衣だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 黄泉比良坂と呼ばれている黄泉路、死者はこの路を通りて冥界の穴より落ち、完全なる死者として冥界へ進み、審判の部屋で天英星バロンの冥闘士が天貴星の代わりに裁くのだと云う。

 故にユートは、天暴星の冥闘士以外に天英星バロンを据えるべく死者の選定をして、その者に冥界の秩序の一端を任せてある。

 まあ、今回は天英星の所に用事は無いし、ユートは貴鬼を連れてさっさと目的の地である、エリシオンへと向かうのだった。

 エリシオンとは冥界の中でも最も美しく、綺麗な湖では美麗なニンフが水浴びをして、花々が一面を咲き誇るという理想の世界。

 正に極楽浄土、天国の名に相応しい世界が広がっており、嘗ての冥王ハーデスはこの地に自らの真の肉体を眠らせていた。

 現在はユートが認めた者を住まわせ、いざとなれば戦力としている。

「エリシオン……か。私はあの頃はまだ子供だった。だからこの地を踏む事は無かったのだがな、二二年もの月日を過ぎて踏む事になろうとは思わなかったよ」

「まあ、そうだろうね」

「それで? 私をエリシオンにまで連れて来てどうしようと云うのだ?」

「せっかちだな貴鬼も……すぐに案内をするさ」

 ザッ、ザッ、ザッと地面を踏み締める音が耳に響くのを感じ、貴鬼が背後の方を見遣れば其処には窮めて白に近い銀髪を伸ばして、

 優しそうな微笑みを浮かべた紅玉の如く瞳の女性が、此方へと真っ直ぐに歩いて来ていた。

 しかも背中には翼らしきモノを持った漆黒の鎧──冥衣を纏っているからには彼女もまた、奏やセレナと同様にユートの擁している冥闘士なのだろう。

 マスクは左脇に抱えて、素顔を晒していなければ誰だかさっぱりだが、貴鬼は彼女の顔に見覚えがある。

「まさか、イリヤスフィールだと!?」

 ユートの擁する白銀聖騎士(シルバーセイント)……ヘラクレス座のイリヤ。

 冥衣を纏う女性は確かに彼女とよく似ていた。

「お久し振りね、ユート。天雄星ガルーダのアイリ、御呼びにより参上したわ」

「ア、アイリ? イリヤではないのか?」

「あら、貴方はイリヤを知っているの? 私はそう、あの子の母親よ」

「なっ!?」

 驚愕する貴鬼。

「アイリ、水先案内人を頼めるか?」

「三巨頭を呼んでおいて、用事は水先案内人?」

「ああ、レムールに」

「ハァー。了解、我が主」

 溜息を吐いたアイリは、やれやれと首を振りながら着いて来る様に促す。

 大人しく着いて行くが、会話も特に無い三人というのに耐え兼ねたか、貴鬼がユートへと訊ねる。

「ユート、どうして彼女に案内を頼むんだ? 此処は君が創造したのだろうに」

「普段のアイリは此処に住まう住人でね。つまりは、僕よりも詳しいのさ」

 確かにユートはハーデスの権能を用いて冥界を創造したが、だからといってもその全てを把握していると云う訳でもない。

 翻ってアイリはこの冥界はエリシオンに住んでいるが故に、割と隅々まで知っているから案内人に丁度良い人材だと云えた。

 暫く進むと谷の様な場所に着き、その雰囲気が貴鬼はジャミールの様だと辺りを見回しながら思う。

「此処がレムール。風の谷であり、多くの神秘鉱石が出土する鉱山でもあるわ」

 神秘鉱石、本来であれば簡単には出土するものでもないが、ユートが冥界創造の際に神金剛(アダマンタイト)や神鍛鋼(オリハルコン)やガマニオンや

 星銀砂(スターダストサンド)などの神秘の鉱石が幾らでも生成される様に構築をしているが故に、これらが出土する土地となっていた。

 神金剛(アダマンタイト)が出土するから、金剛衣(アダマース)や楚真(ソーマ)の構築も楽に出来る。

 だからこれを使用する事により、奏とセレナに楚真のガングニールとアガートラームを造れるだろう。

 出土し難いなら世界そのものを構築の為の場とすれば良いとか、時間を遅くされたらそれより速く動けば良い並に無茶理論だが……

 そんな話をしながらも、風の谷へ降りていくアイリを追い掛ける貴鬼。

 その先に進むと巨大な塔の如く館が見え、それを見た貴鬼が目を見開いて驚愕をしていた。

 まるでジャミールの館とそっくりな作り、あの扉の存在してない【貴鬼の館】そのものだからだ。

 館に扉が無い以上は飛んで入るしかなく、アイリは元よりユートと貴鬼も空中を飛翔して館に入る。

 館の中には何と、漆黒のオブジェが幾つも有った。

 罅割れていたり、新品同様だったりするそれら……

「これは冥衣? いや違う……この色は、形状は! アンドロメダ? それに、まさか双子座だとっ!? 此処に有るのは暗黒聖衣だとでも云うのか!?」

 暗黒アンドロメダならば兎も角として双子座など、貴鬼は暗黒聖衣に黄金聖衣と同型の物があるなどと、寡聞に聞いた事もない。

「暗黒聖衣とは随分な……これらは黒鍛聖衣ですよ。まあ、口にすれば同じなのですがね」

「──え?」

 奥の方から声が聞こえ、貴鬼は呆然となる。

「おや、珍しい。お客様でしょうか? ああ、アイリスフィールでしたか」

「お久し振りですね」

「ええ、久し振りです」

 出て来たのは菫掛かった銀髪を長く伸ばし、後ろ髪をリボンで結っている碧眼の男性で、貫頭衣にマントという窮めて貴鬼に近い姿をしていた。

 そして麿眉!

「何だ、ユートも一緒ではないですか? どうしたのですか? 黒鍛聖衣の進捗状況でも見にきましたか」

「久しいね、それもある。星那が候補生から仮免生になったし、黒鍛アンドロメダを与えないといけないと思ったんだよ」

「ああ、成程。もうそんな時期でしたか? 大丈夫、黒鍛アンドロメダなら完成をしていますよ。何しろ、一から造るのではなく修復だけでしたから」

 男は漆黒で女性が鎖に絡め取られたオブジェの頭を軽めに叩き、小さく笑みを浮かべながらそう言う。

「あ、あ、あ……」

「うん? そちらの方は? 何処かで見た様な……」

「ム、ムウ様っっ!」

「は? 確かに私はムウですが……どちら様です?」

「わ、私です!」

「私と言われても、いや……貴方はまさか!」

「貴鬼です、成長しましたが私は貴鬼っ! ムウ様の弟子の貴鬼です!」

「貴鬼? 貴方があの小さかった貴鬼なのですか?」

「は、はい!」

 ムウの姿は、見た目には二十歳程度にしか見えず、恐らくは老化してない。

 翻って貴鬼は、あれから二二年分もの年輪が成長という形で確かに現れているから、ムウもすぐには貴鬼だと解らずにいた。

「お久し振りに御座いますムウ様!」

「ええ、本当に。私が嘆きの壁で死んでから二二年。立派な姿になりましたね」

 感極まる貴鬼に対して、ムウは何処かしら嬉しそうにしながら、優しい微笑みを湛えている。

 嘆きの壁──旧冥界での地獄の最深層となる、第八獄四の圏ジュデッカに存在していたエリシオンと地獄を隔てる大いなる壁。

 それを破壊する為には、太陽の光を以てするしかないとされ、黄金聖闘士全員が揃い踏みをして、聖衣に蓄積された太陽の光を集結させ撃ち放った。

 そのお陰で嘆きの壁は崩れ去り、神々にしか通れない超次元への入口がポッカリと開いたのである。

 星矢達は聖衣にアテナの血──霊血(イーコール)を与えられており、それによって無事に超次元を渡ったという経緯があった。

「然しどうしてムウ様が、このユートの冥界の一角であるエリシオンに?」

「どうしても何も、数年前に涅槃で眠っていた私達をユートが目覚めさせ、肉体を与えて此処で好きに暮らす様に言われただけです」

 貴鬼の質問に答えると、ムウは黒鍛アンドロメダに目を遣る。

「そして私は彼からの依頼により、我が師と共に黒鍛聖衣の修復と製作を担っているという訳です」

「我が師?」

「ええ……その名も嘗ての教皇。牡羊座のシオン」

「ム、ムウ様の師!?」

 貴鬼はシオンに出会った事は一度たりとて無い。

 それもその筈、シオンが死んだのは一九七七年で、貴鬼の誕生は一九八二年。

「我が師の師は我が師も同然です! 居られるのなら是非ともお会いしたい!」

「ふふ、奇妙な言い回しですね。呼んで来ましょう」

 貴鬼は三十年の時を隔て遂に、ムウの師である牡羊座・アリエスのシオンとの邂逅を果たす事となった。

第1章:[パライストラ篇](8/19)
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 薄い翠掛かった金髪に、青い瞳の麿眉の男性が奥から現れる。

 二百数十年前、前聖戦に於いて青銅聖闘士から黄金聖闘士に昇格し、ハーデスの復活に際して一番に動こうとした真友の一人である天秤座の童虎と共に、

 聖域の外へと出て当代の冥王が器のアローンと対峙して、今一人の真友の杯座の水鏡の弟子、天馬星座の天馬と出会った嘗ての黄金聖闘士である牡羊座のシオン。

 彼は聖域が終了して後、童虎がMISOPETHA-MENOSを受け、冥王の封印の監視をする任務を受けたのに対して、教皇となりボロボロの聖域を纏める任に着いた。

 それは此処に繋がらない世界線でも確定した過去。

『開かぬ扉……か。我が師ハクレイ、セージ様……今また貴殿方の強さを実感しております。無人の聖域で虚しさと想い出とは何ともはや強敵に御座いますな。

  この教皇のマスクも玉座も法衣も、私はいつ馴染む事が出来ましょうや……』

 シオンの結末やその後の未来など、そこら辺は大きく変わるものではない。

 何故ならば、この物語はユートが転生をしなかった一巡目の世界線……

 未来に於いても生き延びたシオンと童虎、テンマやアローンなどのキャスティングはある程度をその侭にして、全く別の人間模様で世界の歴史は繰り広げられていた。

 例えば、天雄星ガルーダのアイアコスは聖闘士には成らず、水鏡の名前を捨てて邪悪な一人の冥王軍の将としてアテナ軍と闘う。

 ちょっとずつちょっとずつが変化をせしめ、世界線は大きく変遷をしたのだ。

 だが先も言った通りで、シオンと童虎の未来は特に変更も無い。

 童虎は冥王軍の監視をしており、シオンは……

 老いたりとはいえ教皇、内面の邪悪に侵されたサガに気付いていた、とはいえ魂の相剋たる邪悪の自分に繰(く)られたサガの不意討ちを喰らい死んだ。

 今代のハーデスとの聖戦では、アテナの聖衣の存在を伝えるべく、ハーデスの誘惑に乗った振りをして、十二宮へと臨む。

 最終的にはアテナの聖衣をアテナの霊血(イーコール)を用い覚醒、更にその場に居合わせた青銅聖闘士の〝五人〟の聖衣にも同じく霊血を与え、海皇戦にて砕かれた聖衣を修復する。

 そして偽りの生命の灯火と共に消滅、シオンは涅槃へと還るのであった。

 どちらの世界線にせよ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「あ、貴方が前聖戦時代の牡羊座(アリエス)の黄金聖闘士にして、前教皇であったシオン様!」

「うむ、お前が今代の牡羊座(アリエス)の貴鬼か」

「は、はい! 御会い出来て光栄です、シオン様!」

 感動に打ち震えながら、貴鬼は拝むが如く両手を胸の前で合わせ、膝を付いて崇敬の念を以て言う。

「フッ、礼儀を弁えた良き弟子ではないか、ムウ」

「ハ、恐縮です我が師よ」

 流石のムウもシオンには頭が上がらず、此方も恐縮をしっぱなしであった。

「然し、ユートの創り出した冥界にまさかムウ様処かシオン様まで居らっしゃるとは、ユート……どういう事なんだ?」

「簡単な話だ。先にも言った通り、僕はハーデスを討った際にその神氣を喰らっていた。そしてカンピオーネとなった時点で、権能として再現が可能となって、

  僕は冥界を創造したんだ。シオンやムウ、他にも今代の黄金聖闘士達やオルフェとユリティースも、此所──エリシオンで暮らしているという訳だよ」

「な、何と!」

 オルフェとユリティース──それは黄金聖闘士にも迫る白銀聖闘士・琴座(ライラ)のオルフェと、その恋人であるユリティースの事である。

 毒蛇に咬まれてしまって死んだユリティースを救うべく単身冥界へ降りたは良かったが、パンドラの奸計により結局は救えなかったオルフェは、

 冥界の一角で琴を奏でてユリティースへの慰めとしていた。

 そんなオルフェも死に、本来だったなら冥界と共に消滅していた筈だったが、ユートは二人の魂を確保しており、冥界の再創造に伴い解放する。

 オルフェとユリティースは最早、互いに離ればなれとなる事も無く幸福な日々を過ごしていた。

 因みに、琴座(ライラ)の白銀聖衣は聖域へ返還されており、新たなる担い手を待っている状態である。

「ですが、我が師ムウは元よりシオン様までが此処で聖衣の修復を? しかも、これらは暗黒聖衣(ブラッククロス)……

  確かに聖域では暗黒聖衣を黒鍛聖衣として見直し、新たに手直しをする計画を聞いていましたが、よもや御二方が担われていたとは!」

「フッ、一度は死したとはいえど私もムウもアテナの聖闘士よ。なれば我々にも出来る事が有るのならば、それを行うものだ」

「その通りですよ貴鬼」

「ムウ様、シオン様……」

 感窮まった感じの貴鬼、何と無く幼い頃に戻った気がして心地好い空気だ。

 ムウは厳しかったし怖かったけど、貴鬼にとっては尊敬をするべき師匠であるのだと、それを忘れた事はムウ亡き後の二二年間というもの決して無かった。

「さて、ユート」

「うん?」

「別に暗黒聖衣の黒鍛聖衣への変遷進捗を訊きに来た訳ではないのでしょう? 第一、未だに担い手が居ないのではありませんか?」

「まあ、目的は別にある。貴鬼を連れて来たのが理由なんだよ。黒鍛聖衣(ブラッククロス)の進捗に関しては序でレベルだね」

「ふむ、ならば最初に序での話をしておきましょう。担い手は現れてますか?」

 ムウとしても担い手が居ないというのに、幾つもの暗黒聖衣を黒鍛聖衣に直す作業は苦痛である。

 況してや、大恩ある師のシオンまでも動かしておきながら、いざとなったなら担い手が居ませんでした……などと冗談で済まない。

 そうなったら情けも容赦も呵責も無く、星屑革命(スターダストレボリューション)をぶちかます!

 怒れる黄金の羊として。

「覚えているか? 二二年前の暗黒聖闘士との闘いの末に、富士からムウが彼らも生かすべくテレポーテーションさせたが、

  白銀聖闘士を騙くらかす為に幻覚で青銅聖闘士に見せ掛けて、死んでしまったのを」

「ええ、私が自身の意志でした事ですからね。言い訳のしようもありませんよ」

「だけど、星矢だけは魔鈴の空拳で死んだと見せ掛けたから、暗黒ペガサスだけは生き延びていた」

「成程、確かにその可能性はありましたね」

 白銀聖闘士の第一陣として現れたのは、蜥蜴座(リザド)のミスティと鷲座(イーグル)の魔鈴、猟犬座(ハウンド)のアステリオン、白鯨座(ホエール)のモーゼスにケンタウルス座のバベルの五名。

 第二陣には、蛇遣座(オピュクス)のシャイナ、烏座(クロウ)のジャミアン、ペルセウス座のアルゴル、御者座(アウリガ)のカペラに地獄の番犬座(ケルベロス)のダンテ。

 第三陣として巨犬座(カニスマヨル)のシリウス、銀蝿座(ムスカ)のディオ、ヘラクレス座のアルゲティの三名のみ。

 まあ、獅子座のアイオリアを監視するのが任務で、闘いに来た訳ではなかったのだし、何より白銀聖闘士の人数が減り過ぎた。

 先の連中は基本的に全員──魔鈴とシャイナは除く──である八名が死亡。

 ケフェウス座のダイダロスは魚座のアフロディーテに討たれ、琴座(ライラ)のオルフェは当時から数えて数年前に失踪をしており、杯座(クラテリス)の担い手は居なかった。

 聖域にはまだ矢座(サジッタ)のトレミーが残っていたが、この頃は南十字座(サザンクロス)と楯座(スキュータム)とオリオン座は不在、

 三角座(トライアングル)のノイシスは七年前に死亡、他の白銀聖闘士も不在であったらしくて、終ぞ他には誰も出て来てはいない。

 但し、三角座(トライアングル)は後に弟子であった元山猫星座(リンクス)の青銅聖闘士レツが受け継いでいた事が発覚している。

 因みに、ユートが把握をしている〝この世界〟に於ける白銀聖衣は……

 蜥蜴座、白鯨座、楯座、ケンタウルス座、鷲座、蛇遣座、烏座、鶴座、ペルセウス座、地獄の番犬座、御者座、ヘラクレス座、銀蠅座、巨犬座、矢座、

 ケフェウス座、琴座、三角座、祭壇座、南十字座、オリオン座、水蛇座、孔雀座、猟犬座、杯座となる。

 白銀聖衣は二四個だが、地獄の番犬座(ケルベロス)は本来だと八八星座に今はカテゴライズされないし、二五個となっていた。

 とはいえ、造り直した際に幾つか聖衣の階級を変えた事もあり、今はこの限りではなかったりする。


 閑話休題……


「暗黒ペガサスのロディ、ウチの聖騎士(セイント)であるヘラクレス座のイリヤが九年前、ボロボロの聖衣でマーシアン・グロウフライとその一味から村を護るロディを見付け、

  小馬座(エクレウス)の青銅聖衣を与えて、暗黒ペガサス聖衣は回収をしている。だけど近年はパライストラの教師として任じていて、

  小馬座聖衣(エクレウス・クロス)は弟子だったキタルファに譲っているんだ。有事の際には彼に黒鍛天馬座(ブラックペガサス)を任せる」

「成程、あの時に彼らを惜しんだ甲斐はありました」

「彼らとはいっても、他の暗黒聖闘士は死んでいるんだけどね」

 ムウはそっぽを向いた。

「で、黒鍛アンドロメダ座には星那を据える。尤も、彼女にはセブンセンシズに目醒めた時点で、魚座聖衣(ピスケス・クロス)を授ける予定だけどね」

「ほう、アフロディーテの後継者とは……星那というのは誰の事ですか?」

 今度はユートがそっぽを向いてしまう。

「貴方の関係者……と?」

「一応ね」

 何とはなしにヤっちまった感があり、少しだけだが後ろめたさを感じている。

「それは兎も角……」

「誤魔化しにきたな?」

「誤魔化しですね?」

「誤魔化し……か」

 貴鬼とムウとシオンによる口撃……ユートは華麗にスルーをした。

「兎も角として! 双子座には僕が就いているから、黒鍛双子座(ブラックジェミニ)を目を掛けた双子座の宿星持ちに、黒鍛牡牛座にはそうだな……カシオスを就けるか?」

「カシオス? 確か彼は、射手座(サジタリアス)的な宿星では?」

「貴鬼、黒鍛聖闘士は宿星に関係無く就く者が居ても良いだろう?」

「そうか……」

 元々、黄金聖衣の暗黒──2Pカラー──は無かったから新たに造った。

 その際には此処に住んでいる先代黄金聖闘士全員が協力し、黒鍛聖衣に血液を提供してくれている。

 お陰で十二宮黒鍛聖衣は黄金聖衣並となっており、最早単なる2Pカラーと言えない性能となっていた。

 相違点が在るとしたら、太陽の光や黄金の意志を宿していないという事。

 黄金聖衣は他の階級とは異なり、黄金の意志が宿って使用者を助けてくれる。

 また、黄金聖衣の十二宮というのは黄道……太陽を一年掛けて回る軌道を執る星座を意味しており、故に黄金聖衣も神話の時代より連綿と太陽の光を浴び続けていて、

 膨大な歴史と光とエネルギーを構造の内側に蓄積していた。

 造られたばかりの聖衣にそれは無い。

「黒鍛牡羊座(ブラックアリエス)は誰が?」

 やはり其処は気になったのか、ムウだけではなくてシオンも見つめてきた。

「黒鍛牡羊座には聖騎士のシエスタを取り敢えず……いや、沙姫を就けるかな? 現在の牡羊座(アリエス)は貴鬼だしね」

「シエスタと沙姫?」

「シエスタは僕の使徒で、牡羊座(アリエス)の黄金聖騎士(ゴールドセイント)。沙姫は貴鬼の娘だ」

「ユートの使徒ですか……しかも貴鬼の娘とはね」

 ムウもイリヤを知っているから、それがどんな存在であるかも熟知している。

 だが貴鬼に娘が居るとは思いもよらず、貴鬼を見遣りながら驚いていた。

「シエスタは聖衣修復技術を持つし、セブンセンシズにも目醒めているからね。それに沙姫も同じく修復師を習っている見習いだし、青銅聖闘士・彫刻具星座(カエルム)を襲名してる」

「打って付けですね」

 だからすぐに頷く。

「ユート、暗黒エクレウスなどの一部が足りないが、それはどうしたのだ?」

「幾つかは既に喪われていたから、恐らくはこの時代の暗黒聖闘士が既に活動をしているみたいだね。黒鍛聖闘士のイメージが悪くなるし、やめて欲しい処なんだけど……ね」

 ユートは嘆息をしながら呟いた。

「それで、本題の方なのですが……?」

「何ね、貴鬼の聖衣修復の技術がどの程度かをムウとシオンに見せようかと」

「なっ!?」

「ほう……確かに我が弟子の成長を見るのは楽しみですね。尤も、結局は聖戦で死んでしまいましたから、最後まで面倒は見れませんでしたが」

「ふむ、私も弟子の成長を見るのは愉しいものだったからな。孫弟子の成長も愉しませて貰おうか」

 貴鬼の驚愕を他所にし、ムウもシオンも興味深そうにしている。

「丁度良かったという訳でもないけど、パライストラの生徒の聖衣が損傷してしまってね。貴鬼に修復を頼みに来たんだよ」

 ユートは聖衣石(クロストーン)を取り出し、右手に持って掲げると内部に仕舞われた聖衣を喚んだ。

「鶴星座(クレイン)!」

 聖衣石(クロストーン)からは薄い菫色の鶴を模したオブジェが顕現、だが然しその聖衣は罅だらけとなっており、明らかに死んでいると云えるダメージ。

 とはいえ、鉄錆びの様な臭いに赤黒い液体が塗れており、それが小宇宙を籠められた聖闘士の血液である事が判った。

「血液は誰のモノを?」

「その聖衣の持ち主の友人が二人」

「ほう? 今の時代でも友の為に動ける者が居るのですか、喜ばしい事ですね。紫龍を思い出します」

「因みに紫龍は現在の教皇をやっているよ」

「教皇とは、我が師シオンの後継者という訳ですか」

「フッ、あの小僧共ぉぉぉぉぉっ! も成長したな」

 感慨無量なムウとシオンは頷きながら話を聞く。

「そ、それでは聖衣の修復を始めます……」

 若干、緊張をしつつ貴鬼は黄金の鑿や鎚を手にし、鶴星座聖衣(クレイン・クロス)の前に片膝を付き、座り込んだ。

「なあ、貴鬼?」

「どうした? ユート」

「手からビームは?」

「はぁ? 何だ、その手からビームというのは」

「いや、貴鬼の聖衣修復と云えば手からビーム……」

「そんな修復を私はムウ様から習った覚えは無い! きっと幻覚か夢や幻の類いに違いない。無かったのだ……そんな修復は! 仮にあったなら、それは私ではなくキキだろう! 」

 貴鬼は鬼気迫る表情で、必死に言う。

 例えば某・仮面の戦士の平行世界人の名前が片仮名であったみたいに、手からビームを出して修復をするのは、きっと貴鬼ではなくてキキ……

 手からビーム疑惑を無いと断言をした貴鬼、確かにムウが貴鬼の目の前で手からビームを出した事実など存在せず、黄金の鑿と鎚を手にして神鍛鋼(オリハルコン)やガマニオン、

 星銀砂(スターダストサンド)を材料に修復をしていた。

「今回の修復は青銅聖衣、ならば星銀砂(スターダストサンド)の割合を多く、神鍛鋼(オリハルコン)の割合が最も小さい。ユート、悪いが星銀砂(スターダストサンド)を用意してくれないか?」

「了解をした」

 ユートが準備した星銀砂(スターダストサンド)に、ガマニオンや神鍛鋼(オリハルコン)を用いて鶴星座(クレイン)へと鑿を添えて鎚を降り下ろす。

「随分とボロボロとなったものだな。此処まで酷いと私にも元の形には戻せぬ。大幅に形状を変える必要がありそうだ。さあ、鶴星座(クレイン)の青銅聖衣よ……今こそ新生の時だ!」

 嘗てはムウが天馬星座と龍星座と修復をする際に、龍星座は多少の変形でどうにかなったが、天馬星座に関しては大幅に形を変えざるを得なかった。

 鶴星座(クレイン)はそれだけのダメージなのだ。

 カツーン! カツーン! 甲高い音を鳴り響かせ、慎重に聖衣を削り出していったり、素材を掛けて固着をさせてみたりと修復作業を進めていく。

 それを見ながらユートに近付くムウ。

「ユート、訊ねたい事があるのですが……」

「何だ?」

「私が見た限りは、鶴星座聖衣(クレイン・クロス)の装着形態が随分とファンシーな気がします。確か貴方は黄金聖衣以外を作り直したと聞きますが?」

「言っておくけど、鶴星座や鷲星座は貴鬼が担当だ。僕は基本形状を造ったに過ぎないからな」

「そうですか、貴鬼が……聖衣をあの様なファンシーな形状に。これは久方振りに少しOHANASHIをする必要がありそうです」

 ズゴゴゴゴッ! なんて擬音が目に見えるくらい、ムウが静かに怒っている。

「お、おお……久し振り、久し振りにムウが……天翔ける黄金の羊の如く、常に優雅な微笑みを絶やさなかったムウが、ハーデス戦より久し振りにその牙を剥いたというのか!?」

 驚愕を露とするシオン、貴鬼は背後での会話を聞いて厭な汗が流れ落ちた。

 何しろ、貴鬼は敵である海将軍(ジェネラル)で海魔(クラーケン)のアイザックより、ムウに怒られるのを恐いと公言した程だ。

 それでも修復の手は決して休めず、集中力も乱さない辺りは流石というべきであろうか?

 約二十分の修復作業が終わり、其処には新たな生命を吹き込まれた鶴星座聖衣(クレイン・クロス)が鎮座をしている。

「完成だ、これで鶴星座(クレイン)は再び優雅に、力強く羽ばたくだろう」

 その輝きは修復前と比べて遥かに強く、生命の躍動感にも満ち充ちていた。

「終わりましたか。成程、私や我が師と比べても遜色無い実力ですね」

「ム、ムウ様……」

「まあ、それはそれとして……貴鬼よ」

「は、はい!」

「少しOHANASHIがあります。ですので此方へ来なさい」

「……はい」

 ガックリと項垂れた貴鬼は大人しく館へ付いていくしかなく、ユートもシオンも貴鬼の冥福を祈る。

 冥界なだけに……

 その後、ユートは完成をしていた黒鍛聖衣を受け取ると、冥界を後にしてパライストラへと戻った。

 尚、貴鬼はムウの愛の鞭によって、もの凄く憔悴をしていたと云う。

第1章:[パライストラ篇](9/19)
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 ユートが休みを取って、ジャミールへと向かったのと同じ頃、アンドロメダ星座の青銅聖闘士の詠もまた休みを取って出掛ける。

 行く場所はギリシア聖域であり、用事は人に会いにといった感じだ。

 父である乙女座・バルゴの瞬や母であるジュネではなく、もっと別の人間──幼馴染みの少女へ会いに。

 聖域ではフォーマル服も同然のアンドロメダ聖衣を纏った詠は、聖域に着くとすぐにも第一の宮の白羊宮へと向かった。

 パルテノン神殿も斯くやな石造りの建築物、前面には白羊宮の紋様()が彫り込まれている。

「待ちなさい」

「っ!」

 白羊宮に入ろうと入口へ足を掛けると、詠は行き成り声を掛けられる。

「誰だ!」

 カツカツと床を踏み締める音を響かせ、白羊宮の奥から現れたのは、黒い髪をボブカットにしたメイド服を着た女性だった。

「メ、メイド……?」

「私はシエスタ。白羊宮を守護される牡羊座の貴鬼様に代わり、此処の守護を任された聖騎士です」

「貴女もセイントなのか? だけど仮面は……」

「私はアテナの聖闘士ではなく、とある方の聖騎士をしているのです。その方はアテナの聖闘士でもあり、また別の肩書きを持っているのですが、

  まあ協力者といった感じですね。それで貴方はどなたですか?」

 名乗られたからには名乗るのが礼儀。

「僕はアンドロメダの青銅聖闘士で名前は詠」

「アンドロメダ星座の詠? つまり瞬様の息子さんという訳ですか。話は既に通っています。進みなさい」

 優雅に一礼をすると道を譲ったシエスタ、その様は本物のメイドであった。

 詠は近くまで寄ると頭を下げて先に進む。

 次は第二の金牛宮だ。

 入り込むと其処には片目を潰した古傷を持つ黄金の聖衣を身に纏い、胡座を掻いている男が腕組みをして瞑目をしている。

 シエスタは知らなかった詠だが、金牛宮の黄金聖闘士の事は知っていた。

 牡牛座のハービンジャーという名前で、元々はスラムのチンピラをしていたという話だが、双子座によってスカウトされたとか。

 敵の骨を折った時の音が好きだという、猟奇的趣味を持ち合わせている。

 そして、敵の心が折れる音を聞くのが何より好きだと公言して憚らない。

 どうしてそんな物騒な者を黄金聖闘士に?

 その答えは父の瞬が聞いていたらしく……『彼が敵の神の闘士となれば、厄介な事になるくらいに強い。故に味方に取り込んだらしいよ』……そう瞬は教えてくれた。

「お前、アンドロメダか。話は聞いている、さっさと通りな」

「は、はい!」

 ハービンジャーのドスが利いた声に促された詠は、そそくさと金牛宮を通り抜けると第三の双児宮へと向かって駆ける。

 第三の双児宮、其処には双子座の黄金聖闘士が在宮している筈だ。

 果たして、双子座は宮内に立っていた。

 黄金聖闘士は自分の宮に生活空間を持ち、夜は其処を根城として暮らす。

 朝から夕方に掛けては、基本的に自分の宮に在宮をしており、時折には聖域の様子を見る巡回をする。

 最近では不在の場合も多いし、未だに黄金聖闘士が在任していない聖衣も有ると聞いていた。

「あの、双子座(ジェミニ)……通りますよ?」

 近付いて話し掛けると、双子座は深々とマスクを被って顔は見えなかったが、首を動かして先に進む様にしゃくり上げた。

 詠は頭を下げると、次の巨蟹宮へと向かう。

 第四の巨蟹宮は現在だと主が不在で、蟹座聖衣(キャンサー・クロス)だけがオブジェ形態となり鎮座をしている筈だ。

 其処には確かに、蟹座の黄金聖衣。

 一巡目にはシラーという名の黄金聖闘士が居たが、この二巡目の世界に於いて彼は聖闘士ではない。

 尤も、ハービンジャーの時にユートが危惧をした事が現実となっているとは、誰も知らない秘密だった。

 勿論、一巡目の世界の事なぞ詠が知る由もない。

 第五の獅子宮を守護するのは伯父、元は青銅聖闘士・鳳凰星座(フェニックス)の一輝が黄金聖闘士となった獅子座(レオ)の一輝。

 とはいえ、一輝は封印をされていた筈の鳳凰星座の青銅聖衣を持ち出し、獅子座の黄金聖衣を置いた侭に出奔してしまっている。

 その為に現在は先代であるアイオリアの忘れ形見、聖衣をまだ受領してはいないレオーネが継ぐ話になっていた。

 原典では兎も角として、この世界ではユートが少しお節介を焼き、結果としてアイオリアは従者の少女と子を成していたのだ。

 それがレオーネである。

 年齢は二〇歳、一九九〇年に仕込んで一九九一年の八月一六日──アイオリアの誕生日に生まれた。

 今年の夏に満二一歳だ。

 アイオリアをその気にさせるのには特に苦労して、何とかかんとか一夜を供にさせる事に成功し、ユートはやり遂げた満足気な表情で二人の行為を観ていた。
 
 そう、全てを……

 まあ、一つだけ問題が生じたとすれば、レオーネが獅子座の黄金聖闘士を父と認識してはいても、対象は会った事も無いアイオリアではなく、一輝を父親だと思い込んでいた事か。

 とはいえ、実質的に一輝が聖闘士としてレオーネを育て上げていた為、従者の少女──今は三九歳で少女ではない──も困ってしまったものである。

 どっちにしても獅子宮は現在だと不在、獅子座聖衣(レオ・クロス)もオブジェ形態で雄々しく鎮座して、入口を睨み付けていた。

 尚、元従者の少女は四年前にユートが帰ってきて、何処かに行っているのか殆んど戻る事は無い。

 レオーネも一八歳頃だし母親が居ないからと、特に問題にもせずに日々を修業の毎日で過ごす。

 第六の処女宮は詠の父親──乙女座(バルゴ)の瞬が守護する宮だ。

 とはいえ、瞬は世界を巡っているから今は不在。

 問題も無く駆け抜けて、第七の天秤宮へと入る。

「詠……か」

 天秤座(ライブラ)の黄金聖衣を纏うは、紫龍と春麗に拾われて育てられた翔龍であり、彼は詠の友人である龍峰の義兄でもあった。

 翔龍は紫龍の弟弟子で、童虎の最後の弟子の玄武が預かっていた天秤座聖衣(ライブラ・クロス)を継承して、今や天秤座の黄金聖闘士として活動中だ。

 玄武自身は祭壇座(アルター)の白銀聖衣を纏い、教皇の紫龍を補佐する事により任じている。

 詠も翔龍には世話になっていた事も手伝って、兄の様な感覚で接していた。

「翔龍兄さん、話は聞いているかな?」

「ああ、通るが良い」

「ありがとう」

「フッ、お前の未来にも関わる事なのだ。確り御勤めを果たして来るんだな」

「ちょ、翔龍兄さんっ!」

 真っ赤になって叫ぶ詠、そんな詠を見て翔龍は笑うばかりである。

 恥ずかしくなった詠は、さっさと天秤宮を駆け抜けて通過した。

「まったく、翔龍兄さんもああいう事を言うんだ」

 意外な一面は嬉しくない方向性で発揮され、溜息しか出ない。

 暫く走ると、第八番目の天蝎宮が見えてくる。

 この宮も主が不在の為、蠍座聖衣(スコーピオン・クロス)が鎮座していた。

 天蝎宮を通過して伝説の魔宮、蛇夫宮の遺跡が存在した場所も知らず知らずに通過をした詠は、第九番目の人馬宮へと辿り着くと、

 射手座・(サジタリアス)の星矢が待ってたのだろう、黄金聖衣を纏って此方を見つめている。

「詠か、よく来たな」

「星矢さん」

 彼も一輝程に直接的ではないものの、一応の続き柄は叔父にカテゴライズされていた。

 何故なら、星矢と一輝や瞬は腹違いの兄弟だから。

 星矢と瞬は同い年であるが瞬の方が兄に当たる。

「いつもの事ながら、お前も大変だな詠」

「いえ、大変だとは思いませんよ」

「そうか? パライストラに入学したのだし、我慢を覚えて欲しいのだがな」

「僕は大丈夫ですし、向こうも他人に我侭は言いませんから」

「そうだな……嘗ての俺はアテナに、沙織さんに我侭を言われたな。『星矢、此処に来て馬におなりなさい!』とかな」

「アハハ……」

 流石に乾いた笑いしか出ない詠であった。

 第十番目の魔羯宮。

 山羊座(カプリコーン)の黄金聖闘士が守護するべき宮だが、現在は守護者不在となっている。

 一巡目ならばイオニアが任ぜられていたが、二巡目のこの世界ではイオニアは既に故人となっていた。

 入口を睨む様に配置された山羊座聖衣(カプリコーン・クロス)のオブジェ。

 詠はすぐに魔羯宮を抜けると、次となる第十一番目の宝瓶宮へと向かう。

 宝瓶宮を守護しているのは水瓶座(アクエリアス)の黄金聖闘士である氷河で、彼もまた詠にとって伯父に当たる人物だ。

「まったく、城戸光政というのは絶倫だよね……」

 何しろ都合、百人を越える子供を百人近い女性へと生ませているのだから。

 あの年でユートも吃驚な絶倫っ振りに、流石の詠も溜息しか出てこない。

 しかも上が一五歳で下が一三歳だというのだから、僅かに三年の間の出来事なのである。まあ、ユートも決して敗けてない訳だが、そんな事で競っても仕方がないだろう。

「氷河さんは今、宝瓶宮に居たっけかな?」

 どういう訳か……という程でもないが、今代の黄金聖闘士は十二宮に必ずしも居るとは限らない。

 例えば恒常的に宮には居ない獅子座(レオ)の一輝、例えば三日月島に数年間も住んでいた射手座(サジタリアス)星矢、

 例えば聖域の外へ出ては困っている者に手を差し伸べる乙女座(バルゴ)の瞬、

 何年もの長きに亘り聖域に戻らなかった双子座(ジェミニ)の優斗など、まともに守護する気が無いとしか思えない程。

 水瓶座(アクエリアス)の氷河にしても、マーマに会いに行く事まではしなくなったものの、ブルーグラードに残した妻に会う為に、

 結局は東シベリアまで戻っているし、果たして今日は居るのか否か。

 牡羊座(アリエス)の貴鬼など、十三年間も聖域には近付かなかったムウと同様にジャミールに篭り続け、一番弟子の沙姫と二番弟子の羅喜を育成、

 何年も使って口説き落とした妻と過ごす毎日だった。

 因みに一番弟子の沙姫は娘でもあり、現在は正規の青銅聖闘士・彫刻具星座(カエルム)となっている。

 御年以て一二歳の少女であり、顔は母親に似ているが髪の毛は貴鬼の癖毛だ。

 基本的に貴鬼の技を受け継いでいるが、ユートから天麟颯覇を教わっている。

 また、聖衣修復師と聖衣創成師の修業中だ。

 今、沙姫は母親の故郷であるカノン島に里帰りをしている最中で、ジャミールには居ない筈である。

 それは兎も角として……

「……居ないし、氷河さんまでが」

 宝瓶宮は無人だった。

 一応、宝瓶宮の図書室も覗いてみたがやはり無人、恐らく東シベリアに里帰りでもしているのだろう。

「ハァー、怠慢な黄金聖闘士(ゴールド)だな」

 まともに守護を担っていたのが……何と、ある意味では不良な黄金聖闘士である牡牛座(タウラス)のハービンジャーと天秤座(ライブラ)の翔龍、

 それに名前は知らない双子座(ジェミニ)と射手座(サジタリアス)の星矢だけだと云う。

 尤も、双子座(ジェミニ)は実質的に此処には居なかったりするのだが……

「八人中四人が不在になってる聖域最強の黄金聖闘士とか、本当に笑えない現実だよね……」

 第十二番目の双魚宮は、魚座(ピスケス)が不在だから元々が無人、この双魚宮には薔薇園が存在しているが故に、いつもなら管理者が居たのだが……

「薔薇園の管理者か、星那さんが居ないから今は管理されてないのかな?」

 自分と同じアンドロメダの宿星を持ちながら、詠がアンドロメダの聖闘士となったが故に、星那は正規の聖闘士にはなれないと考えていた。

 詠も星那も同じ聖域(サンクチュアリ)で暮らした仲であり、一時期は一緒に聖闘士の修業もしている。

 まあ、それで〝あの子〟が膨れっ面になるのだが、それを宥めるのにはちょっと苦労をさせられた。

 だけどその後に聞かされた──星那は聞かされない侭にパライストラに送られて来た──話によるなら、その昔に父である瞬と死闘を繰り広げたのだと云う、

 暗黒アンドロメダの聖衣を黒鍛アンドロメダ星座聖衣として〝新星〟させて与える計画があるのだ……と。

「ハァー、黒鍛聖闘士(ブラックセイント)計画か」

 双魚宮を出ると教皇の間へと急ぐ。因みに云うと、双魚宮から教皇の間までの王魔薔薇(ロイヤルデモンローズ)は撤去中である。

 詠の目的地は教皇の間の更に先、アテナ神殿の謂わば居住区とも呼べる場所。

 各宮にせよ、教皇の間にせよ、アテナ神殿にせよ、必ず居住区が存在する。

 当然だろう、そうでもなければ住む事は疎か守護をする事すら覚束無い。

 そしてアテナ神殿には、巫女や侍従や、その更に上には戦場に立つ事を前提とした戦巫女、聖闘少女なども暮らしていた。

 詠の目的はその中に在って戦巫女の姫君──四人の巫女姫の内の一人。

 常にアテナが手にしている黄金の杖──それは即ちアテナと聖闘士に勝利を導く天使ニケ、それ故にニケは少し特殊な立ち位置。

 姫巫女とは──蛇、梟、オリーブ、三日月といったギリシア神話に於いては、アテナに纏わる四つの要素を巫女達のトップに与えた新しい制度である。

 何しろアテナはよく敵側に捕まるし、教皇だけではなく聖闘士を鼓舞する巫女達が居ても良いだろうと、双子座の提案から決定されたのだと云う。

 姫巫女達は、聖衣創成師たる双子座の黄金聖闘士が造った天聖衣(アスクロス)を授かり、アテナや教皇の傍らで神楽を舞うのが役割となっていた。

 梟(オウル)、三日月(クレスケンス)、蛇(アングイス)、オリーヴァの四つの天聖衣(アスクロス)。

 機能的な聖衣に在りながらも、優美な巫女装束にも通ずる形状を持つ。

 詠はその中の一人である三日月(クレスケンス)へと会うべく、パライストラからわざわざ聖域にまで戻って来たのだ。

 詠は伯父の一人に当たる教皇──流石に彼は居た──へと挨拶をする。

「お久し振りです教皇」

「ああ、久し振りだな詠」

 跪く詠に教皇の法衣や冠を纏った紫龍が、優し気な微笑みを浮かべて言う。

 詠は龍峰の友であるのと同時に、紫龍にとって血を分けた甥にも当たる家族にも等しい相手。

 教皇と青銅聖闘士として節度は必要だが、家族の絆を否定する心算も無い。

「会いに来たのだろう? 早く行ってやると良い」

「はい、進ませて頂きます教皇!」

 教皇・紫龍の許しを得て先に進む詠、その行く先は巫女の居住区の中でも一際に豪奢な個人部屋。

 一般巫女の少女や侍従の女性が詠に頭を下げる。

 詠と姫巫女の一人の関係を知るだけに、今更ながら詠を留め立てする者は一人も居なかった。

 コンコン!

「アンドロメダの詠、召喚に応じ参りました姫巫女」

 詠が扉を叩いて声を掛けると──

「どうぞ?」

 部屋の中から耳に馴染む幼馴染みの声が響く。

 些か無警戒に過ぎるが、此処には基本的に味方しか居ないから、特に問題が出てはいなかった。

 扉を開けると──

「詠ちゃんっっ!」

「うわっ!? ちょっと、月(ユエ)ってば!」

 美麗な装束に身を包む、癖のある銀髪の少女が詠に飛び付いて来る。

 その表情は喜色満面で、小さな身体の全てで喜びを体現していた。

 詠も男の娘……もとい、男の子であるが故に女の子の肌の柔らかさや温もりを感じてしまい、真っ赤に頬を染めて照れてしまう。

 何と言おうか、この娘は詠に対しては接触過多だ。

 時折、実は女友達だとか思われていて、男扱いされてないのでは? なんて考えてしまうくらいに。

「ううん、詠ちゃんだぁ」

 スリスリと詠の頬に自分の匂いでも移すかの如く、自分の頬を擦り付けてくる月(ユエ)の行為は恥ずかしさで一杯である。

「も、もう! 一応、僕は聖闘士で、月(ユエ)は姫巫女なんだからさ……そこら辺はちゃんとしなよ」

「へう! 詠ちゃんってば真面目さんだね」

「それが普通なの!」

 まあ、以前みたく飛び付いて来て『へう!』とか言いながら、ズベシ! と転ばれるよりはマシか?

 昔、双子座に連れられてやって来た月(ユエ)だが、その彼女を何故か詠に預けると──『この子の名前は月(ユエ)と云う。詠、友達になってやってくれ』──そう言ってきた。

 まだ聖闘士の修業も始めてはいなかった頃の話で、まだ小さな子供に過ぎなかった詠も、その言葉を受けて仲良くなっていく。

 正に幼馴染みの関係だ。

 詠が聖闘士の修業を始めた頃に、月(ユエ)も姫巫女の修業を始めている。

 そして、詠がアンドロメダ島でのサクリファイスの修業を終え、アンドロメダ聖衣を与えられたと同時に月(ユエ)も三日月(クレスケンス)の天聖衣(アスクロス)を与えられて、

 正式にアテナの姫巫女・三日月(クレスケンス)の月(ユエ)となった。

 会える機会が減ってしまって、月(ユエ)は可成り凹んでしまっていたが……

 だからこそ、こうして会う為に呼び出している。

 端から視れば我侭だが、余程の事がない限りは誰も咎めたりしない。

 月(ユエ)も御勤めは果たしているし、フラストレーションを溜められて、いざという時にモチベーションが上がらないなんて事になっては本末転倒だからだ。

「さ、詠ちゃん! 入って入って!」

「わ、判ったからさ!」

 部屋に引き摺り込まれる詠は、苦笑いをしながらも月(ユエ)に従う。

 こうしてこの日、詠は月(ユエ)と共に揺ったりとした時間を過ごすのだった。

第1章:[パライストラ篇](10/19)
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 緒方星那──姓を見れば判る通り、彼女はユートの関係者である。

 続き柄は【娘】となり、その母親の名前は星華……つまりは星矢の実姉だ。

 星那は詠や龍峰にとって従姉となり、早い話が実はユートは義理とはいえこの摩訶不思議な城戸家の家族模様に、何故か混ざってしまっているという事に……

 そんな星那だったが当初から聖闘士を目指していた訳でないし、初めから父親と仲が良かった訳でも無かったのだが、今はその辺の軋轢は無くなっている。

 因みに、パライストラへユートが編入された時には顎が外れるかの如く大口を開き、目を見開かんばかりに驚愕をしたのだと云う。

 勿論、星那は超能力的な念動力(サイコキネシス)も使える為、すぐに事情説明を行われて口を噤む。

 まあ、元より聖衣を未だに受領もしていなかったと云うのに、何故か仮免生になってしまった身で余り誰かと話していなかった星那なだけに、特にユートの事を話したりはしなかった。

 そもそも、どうして星那が誕生したのだろうか?

 勿論、ユートが星華相手に〝致して〟しまった結果として生まれた訳だけど、其処に至る道筋とは……


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 二〇〇五年……ユートは一通りの仕事を済ませて、次の仕事──ハイスクールD×D主体世界への旅立ち──に行く前に、挨拶するべく聖域へと行った。

 それは別の世界に仕事で向かっても、双子座聖衣(ジェミニ・クロス)を使う許可を得る為であり、仲間に暫く離れる事を伝えておく為でもある。

 十二宮を登ったユートは聖域に在宮する黄金聖闘士──この時居たのは、瞬と氷河とハービンジャーのみ──に挨拶しながら、教皇である紫龍の許へと……

 そして第十二番目の宮・双魚宮に立ち入ったユートが見たのは、瞬より色素の薄い亜麻色の癖っ毛を肩口まで伸ばした少女だった。

 ユートは三重の意味で目を見張る。

 顔は星華にそっくりで、そして強い水の精霊力を秘め身体に、それに何よりも少女が抱えるかの様にその手にしていたのは──

「それは王魔薔薇(ロイヤルデモンローズ)!?」

 星華に似ている少女が強い水の精霊力を持ち、更には毒薔薇である王魔薔薇を平然と手にしている事実、これが意味する処とは……

「まさか、君は?」

 顔が星華に似ているという事は、即ち星華の娘という事だろう。

 彼女が男と付き合っていたなんて話は聞かないし、仮にそうだとしてもならばこの水の精霊力の強さには説明が付かず、王魔薔薇を手に出来る浄毒能力は正にモンモランシー並。

 精霊の力は基本的に遺伝……血筋に宿るとされる。

 独覚の様な〝覚りを開いた気がする〟レベルで力を得て、高い精霊力を持つに至る者が居ないでもない。

 実際に【カンピオーネ!】主体の世界で習合された【風の聖痕】の中に、確かにそんな人間が居た。

 須藤響子──今現在は、冥闘士(スペクター)となるべく精神修養中の少女で、それが済んだなら【地妖星パピヨン】となる予定だ。

 彼女は原典とまず変わらない運命を辿る。

 眼鏡に両端三つ編みという地味な容貌な少女だが、神凪の初代並の炎の精霊に対する親和性を持つ。

 彼女は独覚としての炎の才覚を持っていた。

 だが、それは最悪な状況で目覚めてしまう。

 切っ掛けは炎の巫女姫、神凪綾乃の仕事を偶然にも見掛けた事。

 それにより響子の中に在った炎の精霊とのチャンネルが僅かに開き、ノイズの様に僅かに炎の精霊の声が聞こえる様になった。

 原典との相違点は一つ、八神和麻が居なかった事。

 理由は簡単で、八神和麻は日本にこそ戻ってはいたものの、翠鈴(ツォイリン)との生活を楽しみ、神凪と大して関わらずにいた為、原典の様に綾乃の御守りをしていなかったからだ。

 和麻の神凪との関わりなんて、精々が大伯父に当たる神凪重悟や弟の神凪 煉との交流や、父の神凪玄馬との盛大な親子喧嘩くらいでしかない。

 それは兎も角、目覚めた須藤響子だったが暫くの間は普通に暮らしていた。

 綾乃は彼女に気付かなかったし、ユートは須藤響子の件は原作知識で判っていたが、それがいつ起こるのかまでは知らなかった故、悲劇は容易く響子を襲う。

 複数の男に囲まれ、女として最大最悪の屈辱を受けた時の憎しみの焔、それが炎の精霊とのチャンネルを完全に開いてしまった。

 そして強姦魔を焼き殺した響子は、穢らわしい男共を殺し尽くして後に、自らの汚泥に塗れた肉体をも炎で焼いて浄化するのだと、精霊酔いの状態で虚ろな瞳となって呟く。

 まあ、何やかんやあってその事件は収められた。


 閑話休題……


 星那からも感じる響子並の水の精霊との親和性は、確かに毒の香気を漂わせる王魔薔薇を体内で浄化し、無害化をしている。

 魚座の黄金聖闘士は毒の香気から身を守る術として代々、強大な毒を以て毒を制していたと云う。

 モンモランシーやユートは別アプローチ、水の精霊の力による浄化で毒を無害化していたのだが、それをこの少女は行っていた。

 しかも無意識で、自らの中の力を自覚している訳でもなく、水の精霊を従えていたのである。

「貴方、誰ですか? 此処は黄金十二宮の最後の宮、双魚宮です。勝手に入って良いものではないですよ」

 凛とした声、聖闘士候補生だとは思えない一般的なロドリオ村の服装、聖戦の後に記憶を取り戻した星華と重なった。

「僕は黄金聖闘士・双子座の優斗。教皇に用があって此処まで来た。君こそ何者なんだ? 魚座(ピスケス)が選定されたなど聞いてはいないし、何よりも君は幼すぎる」

 というより、五歳か其処らにしか見えない少女は、そもそも聖闘士訓練生ですら無いかも知れない。

「双子座(ジェミニ)……ですって? 双子座、貴方が双子座の……優斗……っ! 貴方が!」

「? どうした?」

 少女の瞳には怒りが……それ以上の憎しみすら感じさせるものだ。

「貴方がぁぁぁっ!」

 少女が飛び掛かって拳を揮って来る。

 バキィ! 敢えて避けたりはしないで受け容れた。

「ぐっ!」

 少女の拳の方が痛ましく悲鳴を上げ、片目でユートを睨み付けながら忌々しそうに痛む拳を押さえる。

「まったく、なっていない拳の使い方だ」

 下手な拳の使い方、生身でもそれなりに丈夫な肉体が反撃さえせず、少女の拳を傷付けたのだ。

「は、放して!」

 無理矢理に押さえ付けられた少女は暴れるものの、ユートの力には敵う筈もなく動くに動けない。

 ズレた指を矯正……

「痛っ!」

「ジッとしていろ。聖なる癒しの御手よ、母なる大地の息吹よ、願わくば我が前に横たわりしこの者をその大いなる慈悲で救い給え。治癒(リカバリー)」

 スレイヤーズ系治癒魔法である治癒(リカバリー)、披術者の体力を活性化させて治癒能力を高め、傷などを治してしまう魔法だ。

 優しい光がユートの掌から発せられ、罅でも入ったかも知れない少女の拳を包み込むと癒していく。

 その直後、ユートの力が弛んだ一瞬の隙を突いて、バックステップで下がると黒い薔薇を手に取った。

 この双魚宮で栽培されている薔薇の一輪、黒鋸薔薇(ピラニアンローズ)だ。

「よせ、君にそれはまだ使い熟せない」

「煩い黙れっ! 黒鋸薔薇(ピラニアンローズ)!」

 投げ付けられる黒薔薇、それがまともにヒットをすれば青銅聖衣なら粉々となる程、だが然し……

「聞き分けの無い子だな、薔薇はこう使うんだっ! 黒鋸薔薇(ピラニアンローズ)!」

 ユートも黒鋸薔薇を取り出すと、少女が投げ付けた黒鋸薔薇を打ち落とすべく投擲をした。

 そればかりか、一瞬にして喰い尽くして勢いを殺したりしない侭、少女へ向かって黒鋸薔薇は飛んだ。

「キャァァァァッ!」

 手加減はしていたから、少女自身を薔薇で傷付ける事も無く、勢いのみで吹き飛ばしてしまう。

 とはいえ、これでは柱か壁にぶつかって怪我をしてしまうと、素早く背後へと廻ると……

「うっ!?」

 少女の小さな身体を包み込むが如く受け止めた。

「は、放してよ! こんの……最低男!」

「はぁ!? 最低男って、どういう意味だ? まるで君に何かをしたみたいに。僕は君と初対面の筈だ」

「ええ、そうよね。初対面……初対面だわ! 双子座(ジェミニ)の黄金聖闘士、優斗──お父さん!」

「……へ?」

 この少女は今、何と?

 お父さん、Father──つまりΠατρα……だと言ったのか?

 星華に似た少女であるのなら、即ち星華の娘であるのは必定であろう。

 そして、ユートは星華を美味しく『戴きます』をしてしまっていたのだから、その可能性はゼロではないのだが、ユートはそもそも子供がデキ難い体質らしいから、

 僅かに一回ばかりの行為でよもやデキるなどと思いもよらない。

 況してやその後も何度か会っていたが、そんな痕跡も残さずに子供の存在を隠していたのか、ユートは全く気付く事もなかった。

 つまり、少女が言う最低男というのは……

「若しかして、星華と君を放って置いたからとか……そういう事なのか?」

 そういう事なのだろう。

 果たして少女は頷く。

「そうよ、ヤるだけヤって子供まで産ませておいて、そのまんま放って置くなんて最低だわ!」

 成程、確かにそれは最低な行為だろうとユート自身でも思った。

 とはいっても、僅か五歳の少女が『ヤるだけヤって』とか、何とも耳年増というべきなのか、物凄い言葉を平然と発するものだ。

 まあ、星矢や沙織なんかも十三歳とは思えない程の言葉を使うし、肉体的にもおかしいくらいだった。

 ユートも当初、城戸沙織の設定年齢を正しく把握をするまで最低でも十六歳くらい、最高で十八歳は堅いと思っていたのだから。

「別にヤったから用無しとポイ捨てした訳じゃない」

「嘘よ! だったらどうしてお母さんの所に戻って来ないのよ!?」

「えーっと、戻っては来ているんだけど……」

「? じゃあ、どうして私に会ってくれないの!」

「いや、星華に会いに行った時に君は居なかったし」

「……そう言えば、何度かお母さんは私を用事だとか言って、ロドリオ村から出す事があったけど」

 どうやら星華はユートと少女を会わせたくなかったらしく、ユートが行く事を報せるのに合わせて村から出していた様である。

「これは、星華に事情を訊いた方が良さそうだな」

 嘆息をしながら呟くと、少女を連れてロドリオ村へ戻る事にした。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ロドリオ村、それは聖域(サンクチュアリ)のすぐ傍に存在し、聖闘士や雑兵や従者などが食糧やら何やらを買い込む場である。

 十四年くらい前の事だ、ユートは原作知識を応用して記憶を喪っていた星矢の実姉、星華を聖域へと連れて行って逢わせてやった。

 その後も何度か星華とは会っており、ハーデスとの聖戦の最中には星華も記憶を取り戻している。

 記憶喪失だった者が記憶を取り戻した場合、大方は二種類の末がある訳だが、それは記憶喪失だった頃の記憶を喪う、或いは記憶を持った侭に本来の記憶との合一が行われる事だ。

 星華の場合は後者。

 恐らくはユーキの依代となった影響だろう。

 ユートと星華の逢瀬……いつしか二人は良い雰囲気となって、秋の大四辺形の煌めきが降り注ぐ夜空の下で唇を重ね合わせ……

 草むらをベッド代わりにして、血とナニかの混じり合う液体に濡れる草蒲団。

 東雲が耀く中で微笑み、頬を紅潮させた星華。

 ユートと星華の二人が、互いに求め合い〝致した〟のはその一度切り。

 体質的に──中で──ヤっちまったとはいえ、避妊無しでもデキてないだろうと考えていたが、やはり甘かったという事なのか?

 手を繋いで歩いている星華に似た少女、水の精霊との親和性を鑑みてユート以外と子を成したとは思えないから、少女の言からもまず間違いなくユートが父親。

 ユートは四柱もの精霊王と契約を交わした契約者(コントラクター)であり、その子供は母親の資質次第ではあるが、必ず強い精霊との親和性を宿す。

 事実としてユートの子供や孫……子孫は殆んど全てが高い精霊との親和性を持っており、メイジとしても精霊術師としても高い能力を持ち合わせていた。

 なればこそユートと星華の間に子を成したのなら、精霊術師の力を宿している筈である。

 ロドリオ村に着いたら、すぐに星華が暮らしている家へと向かった。

 少女は勿論だが、ユートもよく知るその家の主は既に星華であり、少女と一緒に暮らしているらしい。

 そしてユートが行く度、少女は外へと出されて会う事が全く無かったと云う。

 何の為に? とも思ったユートだったが、取り敢えずは会うしかあるまい。

「ただいま、お母さん」

「お帰りなさい星那。随分と早かった……あっ!?」

 声を掛けながら扉を開けて入って来た少女──星那を出迎えた星華は、ユートの姿を認めると右手で口元を押さえて驚きを露わにしつつ目を見開いている。

「優斗……どうして?」

「それは此方の科白だよ、星華。双魚宮まで上がったらその子が居て、僕を父と呼んだ。彼女……星那って呼んでいたか? 

  星那には最低男呼ばわり──は間違ってないけど、されたのは僕が星那を認知していないのが原因っぽいし。

  生まれたのは五年前の二〇〇〇年……つまりはマルス戦の後のあの日。君の初めてを貰ったあの時につまり妊娠をしていたんだよな?」

 現在の星那の年齢は五歳であり、今は二〇〇五年。

 生まれたのが五年前なら仕込まれたのは一九九九日という事になるし、よもやその日から六年間もずっと隠し通すとは……

「どうしてだ?」

「ハァー、だって……優斗は今は幾つだったかしら? 戸籍年齢で」

「へ? 確か……数えで、一二歳だったかな?」

 二〇〇三年の麻帆良学園都市での生活が、数えにしたら十歳の頃なのだから、二年が経った今だと一二歳となっている。

 そう、戸籍年齢が一二歳となっているのだ。

 つまる処、星華が星那を妊娠したのはユートの戸籍年齢が七歳の時の話。

 星華が二五歳の時だ。

 対外的に見ると二五歳の星華が、七歳のユートとの情事で星那を妊娠して生んだ事になってしまう。

「え? お父さんが一二歳って、私と七歳しか違わないって云う事!? でも、とてもそんな年齢には見えないんだけど……」

「そりゃ、僕の場合は戸籍年齢と肉体年齢に隔たりがあるし、何よりも見た目は変える事が出来るからね」

「何、その変なスキル?」

 そうは言われても仕方がない事だろう、何故ならばユートは十歳の頃にとある事件というか事故により、二十数年前に跳ばされてしまい、

 その関係でユートが七歳の頃に二十年近い年数を生きたユートが、同一の時間軸へ同時に存在をしていたのだから。

 その間もユート自身との接触は極力避けて、話した訳ではないが同じ場所へと在ったのは、マルスの乱の最終決戦の時だけ。

 それ以外で出逢った記憶が無い以上、直接的な接触は出来なかったから、動きも可成り制限をされた。

 だから姿を変えるのは、謂わば必須のスキル。

 ユートは【千貌】によって幾らでも変えられるが、動きは最小限に留めた。

「それにしても、一六歳の時に出逢って二五歳で初めて結ばれたって、随分と遅かったんだね」

「お父さんは……優斗は忙しかったし、実質的に会ったのは九年間の中でも僅か三年分くらいだもの」

「それに、良い雰囲気にはなれなかったってのもあるからなぁ……」

 ロドリオ村には当時だと星華を拾った老夫婦が居た訳だし、あんな狭苦しい家でのキャッキャウフフなど無茶振りが過ぎる。

 かといって、聖域でヤるのはやっぱり憚られた。

 しかも会える日が極端に少なくて、簡単にはそんな関係を結べなかったのだ。

 そういう意味で云えば、翔龍が龍星座(ドラゴン)の青銅聖闘士となり、独立をしてから数年間を励んで、龍峰を生ませた紫龍、

 同じ頃にジュネに詠を仕込んだ瞬に、ナターシャの宜しくヤっていた氷河など、割と人生を楽しんでいたと云えるのかも知れない。

 というか、アイオリアとリトスにちょっかい掛ける暇が有れば、自分が星華とどうにかなれば良かったのではないか? などと思わないでもないユート。

 結局は星華が七歳の子供に手を出したと思われたくなくて、ユートが一八歳になるまで会わせない様にと画策した星華、

 その結果としてユートが自分を認知しなかったと誤解した星那、忙しさにかまけて気付けなかったユートの三人が三人共の考えやら行動により、事態が複雑化したらしい。

 話し合いも終えた後に、星華がムスッとするくらいユートに甘える星那。

 五歳の子供、それも娘に嫉妬してどうすると言いたい処だが、たまにしか会えないのに邪魔されて機嫌良く振る舞えたりはしないだろうし、

 何より別の世界へ跳んで何年間か居なくなるのだと言われては、折角傍に居るのに──そう考えても罪はあるまい。

 だから星那は気を利かせた心算か……

「あ、お母さん。私、今日は瞬叔父さんの所にでも泊まるから、お父さんと仲好くね? それと、出来たら弟か妹が欲しいな♪」

 とんでもない一言と共に言い放つ。

「せ、星那!?」

 三十路に突入をしたとはいえ、未だに初心(うぶ)な星華は真っ赤に頬を染めて叫ぶのだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「結局、姉弟妹(きょうだい)はデキなかったよね」

 あの日を境として星那は緒方星那と名乗る。

 ユートが認知をした証拠というか、家族となったという事で贈った姓だ。

 まあ、戸籍上はユートの姓がスプリングフィールドだというのは、きっと笑い話となるのだろう。

 聖域では瞬から修業を受けて、双魚宮では薔薇園の手入れなどをして暮らしていた星那は、今年に入って聖衣も与えられない侭で、パライストラへと仮免生として送り出された。

 意味が解らない采配だったが、黒鍛聖衣(ブラッククロス)の話を聞いて合点がいく。

「私が黒鍛アンドロメダ」

 瞬から手解きを受けていた星那にとって、黒鍛星雲鎖(ブラックネビュラチェーン)は使い易い筈。

 それから星那は、帰ってきたユートに一人だけ呼び出されて、手ずから漆黒の聖衣石(クロストーン)の填まる銀の腕輪を授けられ、正式に黒鍛アンドロメダ座の星那となった。

2020/10/5